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2026.03.30
建築設計と働く喜び──第7回 伊藤敦
建築人を豊かにすることを目指すA-magazineが、建築設計に携わる人びとが建築設計のどのような点に働く喜びを見出しているのかをシリーズで紹介する”建築設計と働く喜び”。第7回は、都内の大手組織設計事務所で勤務した後、現在は地元の山形にUターンし、地方の中規模設計事務所で働く伊藤敦さんに寄稿していただきました。中央を経験したからこそ見える、地方のリアルと可能性とは。
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建築設計と働く喜び。と、地方の組織事務所で働くこと
こんにちは。伊藤敦といいます。
第1回目の小林くんとは大学の同期です。東京本社の組織設計事務所で約10年間、鉄道関連施設の設計に携わり、現在は地元の山形へ移り約30人規模の地方組織設計事務所に所属しています。地方出身→東京組織→地方組織という稀有なキャリアのパターンを選択していると思いますので、そのあたり物珍しがって読んで頂ければと思います。
1.建築の矜持をもって組織で働く
はじめに、アトリエ─組織という枠組みの「組織」を選択した経緯を振り返りたいと思います。
東北大学での学部3年生の終わり、来月から4年生というタイミングで東日本大震災が発生しました。その後程なくして、日建設計が東北の被災地学生向けに開催したオープンデスクに参加しました。そこでは被災地のリサーチワークを通じ、今も第一線で活躍する方々とともに建築を見学したり、様々な建築観・論を教わり、実際の業務の様子を見せてもらう経験をします。そのなかで、地道なスタディの結果を組織事務所に所属しながらも建築家の矜持をもって熱くスマートにプレゼンする様を間近で感じました。
また他方、アトリエ系事務所でのオープンデスクにおいて、建築論から設計手法まで、現在の自分にも活き続ける建築の学びを得ました。そうして少しずつ世界が広がる過程で、文字通りの建築家の振る舞いと自分の将来像を重ねていくことを難しく感じるようになりました。このような経緯で、組織事務所の門を叩くことを決めました。
2.組織として応える
その後、JR東日本のグループ会社に位置づけられるインハウス系の設計事務所、JR東日本建築設計に入社します。東日本環内で、駅舎、駅ビル、ホテルなどの商業施設、大規模開発など、各地で大小様々なプロジェクトが動いていました。
入社してしばらくは商業チームで、駅ビルの新築・改装などに携わりました。商業チームでの印象的なプロジェクトに、とある駅ビルの増築・リニューアルに合わせて実施した駅舎の改修があります。このプロジェクトではコンコースへとつながる階段部分を、駅舎に求められる安全性を担保した上で、住民参加型のデザインを取り入れてリニューアルする提案が求められていました。
当時この地域にはファミリー層の流入が多かったため、小学生を対象としたデザインワークショップを行うことで、地域にその取り組みを知ってもらえたらと考えました。パズルのようなピースを用意し、小学生たちに1/1スケールで並べてもらうことで、図案をつくってもらうという計画です。完成した図案はシートに印刷してアルミパネルに貼り、既存壁面上に施工します。これにより安全性を担保しつつ、旅客流動への影響(幅員の減少)を最小限にしたリニューアルを実現しました。
こうした創作型のワークショップを組織事務所主導で行うことができた経験は、「組織事務所」に求められるソリッドな部分に応えつつ新たな試みを取り込んでいく際のバランスの取り方や、クライアントの不安に寄り添いながらともに新しいことに挑戦していく、関係性のプロトタイプとなったように思います。
3.地方での仕事、東京での仕事
その後駅舎チームに異動し、10万人規模の地方都市において、新設の駅舎とその高架下に市の交流施設を設計する機会を得ました。現地を訪れた際、一見すると人通りは少ないけれどお店は賑わっているという、車移動のために街を歩く人の往来が可視化されない、地方都市に共通する風景が広がっていました。シンプルに人々の行為が駅前で可視化される状況をつくれないかと考え、交流施設を分棟にして高架下に複数の道を通す計画としました。交流施設の手前に基礎の立ち上がりと一体となったベンチやカウンターを設けることで、そこを行き交う人々の取り付く島となるようにしています。
それまで改札と駐輪場の間の通過点でしかなかった高架下に、居場所を見つけられる複数のきっかけをつくるという計画です。設計の過程で、自治体の方から「この提案は東京の考え方で、ここでは流行らないのではないか?」と意見をいただき、「まず若い人たちがうまく使い出します。その様子を見て少しずつ状況が変化していきます」と説明し、納得していただくことができました。実際、竣工後に現地を訪れると、学生が友達と放課後を自由に過ごす様子、こどもがよじ登って遊んでいる様子、そして旅行者やご婦人が荷物を整える様子を見ることができました。思考と提案と説得、完成後に手を離れた建築が人々に使われている様子を見ること、それが私の建築設計と働く喜び、だと認識できた出来事でした。
設計に携わった都内の商業施設がオープン日を迎えたときのことです。平日にも関わらず多くの人々が訪れ賑わう場面に立ち会うことができました。労われるような思いと同時に、妙に非現実的な感慨を抱きました。東京の日常という一見日本を代表する光景は、日本全体においては少数派で、地方の風景の方が大多数ではないのか?東京で探求することは誰かに任せれば十分なのではないか、と感じた場面でした。この先ずっと東京で働くということが自分にとっては、寝覚めの悪いことなのかも知れないと意識した瞬間でした。
4.地方とは、組織とは
ここまで「地方」という言葉を使用してきましたが、東京以外という意味での「地方」、三大都市圏以外を指す「地方」、政令指定都市以外を指す「地方」、東北「地方」における仙台以外を指す「地方」、そして山形市に対する周辺自治体の「地方」と、文脈によって意味合いが全く異なります。この「地方」という言葉は、入れ子構造というかフラクタルな構造をもち、関係性を表すのに良くも悪くも都合の良い記号です。中心と周辺の力学をお互いにオブラートに包んでコミュニケーションするための記号として「地方」を使い続けるうちは、何か問題を先送りにしているように感じます。
そしてまた、アトリエ─組織という表現も、業界を捉えるのにいまだ便利で長らく使われていますが、様々な要素を取捨し単純化した表現です。作品性をもって自己を確立できることがアトリエで、それ以外が組織なのか。現在、私は冒頭のように「地方」「組織」事務所と曖昧に述べる以外の術を持ち合わせていません。
5.これから
山形に移ったことで、私自身の設計を取り巻く環境は大きく変わりました。ただ嬉しいことに、プロポーザルを勝ち抜き、前職同様に公共的な設計に携わることができていますし、100㎡程度のものから何万㎡ものと、広くスケールを横断できています。
一方、施設の修繕や機器更新、各種の入札案件などこれまで見えていなかったタイプの仕事もあります。地域に根ざす組織的な事務所が、地域の差し迫った仕事を的確にこなすという一面に存在意義を感じるのは事実です。
山形では人材流動性の低さも痛感しています。人口減少のなかでどう建築の矜持を体現するのか、人手不足を意識した設計、運営やリノベーション、不動産的なアプローチが状況を打開していく術なのか……。少なくとも、これまで以上に関係者が手を取り合って、手を尽くすことが必要だと考えます。その過程で、建築が生み出す差異に意識的になり、地方×組織の解像度を高めていきたい。それが私の現在地です。
ちょうどこのコラムを書いているカフェで建築学科の学生がアルバイトをしていました。
彼は、まずは東京のスピード感に揉まれたいと、大学卒業後は東京で働くそうです。そして、彼はいずれは山形に戻ると笑っていました。
(企画・編集:ロンロ・ボナペティ)
伊藤敦
1988年 山形県生まれ
2012年 東北大学工学部建築・社会環境工学科卒業
2014年 同大学大学院修了
2014年~2023年 株式会社JR東日本建築設計にて勤務
2023年~ 地元へ移り、株式会社秦・伊藤設計にて勤務

